Entries

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

2007年の締めくくりは。。。

在宅点滴治療も無事終了。

訪問ドクターが、頭を縫合している糸を取ってくれて、
身体の奥深く入れてあった点滴用のチューブも
外してくれました。

家で全部してくれるなんて本当に楽でした。

少し落ちついたところで、
私はダンナさまの身内のことを考え始めました。

こんな元気になった姿を、お父さんも兄弟も見ていません。

これは1回日本に連れて行くか。。。

そうしたら、私の役目も一段落だなー。

ということで、
ステロイドの副作用で無菌性大腿骨頭壊死になってはいましたが、
びっこをひいているダンナさまを無理矢理日本に連れて行ったのです。

まだ痛みも軽いみたいだし、今しかないな。と思ったのです。

私達が会いに行くといったら、
お父さんの喜びようはなかったです。

親孝行できてよかった!

しかし、日本ではよく歩いたので、
ダンナさまの足は次第に痛くなってしまったのです。

この病気は、ステロイドを長期服用してる人と
大酒飲みの人がなりやすいといいます。

外傷を負ったわけでもないのに、
大腿骨の関節が死んでしまうのです。

外傷を負って、ばい菌が入ってなったわけではないので、
無菌性となります。

そんなわけで、楽しい日本滞在が
最後には辛いものになってしまいました。

ロスに帰る日、
お父さんと弟夫婦が成田空港まで送ってくれました。

空港で、皆で楽しく最後の食事をした後です。
ダンナさまは急に、いままでにない痛みに襲われたのです。

痛みで1歩も動けないのです。

弟のお嫁さんが、急いで車イスを借りてきてくれました。

しかし、セキュリティーゲートまでしか車イスは使えないというのです。

ダンナさまは根性でゲートをくぐりましたが、
それ以上は限界でした。

空港のスタッフに事情を説明するも、
最初から車イス指定で予約してないため、少々揉めました。

でも車イスを用意してくれることになり、
担当のスタッフがきてくれたのです。

その間、外からお父さんたちが心配そうに見ていました。

ダンナさまは、
”最後にこんなことになって、親父に心配かけるなんて。。。”
と、下を向いて泣いていました。

よっぽど悔しかったんだと思います。

車イスだったこともあって
飛行機に乗るのは1番でした。

もちろん、座席まで運んでくれます。

ロスに着いてからも、車イスが用意されていました。

私の心配をよそに、
ロスに着いたとたん、痛みが無くなったのです。

本人は平気な顔をしています。

なんで~?

たぶん、気候が違うからだと思います。

以前、ダンナさまの両親がロスに来たとき、
関節痛が無い!と、言っていましたから。

カラッとした湿気のない気候が良かったのかも。

なにはともあれ、心配しているであろうお父さんに
すぐに電話をしたことは言うまでもありません。

つづく

�L�e�B�����無菌性大腿骨頭壊死の治療については、後々お話します。
最近、長編になっていますが、最後まで読んでいただきありがとうざいます。

ランキングに応援ポチよろしくお願いします!
�N���b�N���ĂˁB




スポンサーサイト

在宅点滴治療開始!

点滴といえば、ベットサイドに高く掲げ
移動する時にはガラガラと点滴の棒を一緒に持って歩く。

私はそう想像していました。

点滴が終わるまで約2時間。
それを朝、晩、2回するとなると面倒くさい。
じっと家にいなきゃならない。

私はイラっとしていました。

ところが!
なんて画期的!

この点滴はゴムボールのようなもので出来ていて、
ダンナさまに必要な分量の薬が
ちゃんと2時間で終わるようになっているのです。
頭の上に掲げてなくても、そのゴムボールが勝手に
薬を送ってくれるのです。
(私達はこのまん丸い点滴を爆弾と呼んでいました。)��

ということは、ポッケに入れてお出かけができるのです!

これならストレスにならないし、楽ちんです!

実際、この爆弾(点滴)をウエストポーチに入れて、
買い物に行ったこともあります。

腕からチューブがでてるけど。。。
アメリカは医療器具を着けている人がいても
ジロジロ見られたりしません。見るのは子供ぐらいです。

あれなんだ?というくらいで、
ハンディーキャップの人に対してとても寛大です。

この点滴を着けたり外したりは、私の仕事です。
やり方はナースが教えてくれました。

私がいじるのは、腕から出ているジョイント部分だけ。

血液が詰まってないか、精製水が入った注射器で
精製水を流し込み、点滴をセット。
終わったら点滴を外し、血液が固まらないようにするための
薬が入った注射器で薬を流し込みます。
後はチューブのフタをして終了。

点滴は1週間ごとにデリバリーされ、冷蔵庫で保管します。

この抗生物質は強いため、腎臓機能を弱くしてしまいます。
そこでナースが1週間ごとに採血をして、
腎臓機能をチェックします。
そこでなにかあると、薬を弱めなければいけなくなるので、
点滴はダンナさまのために、1週間ごと作られるのです。

そしてこの点滴のお値段は!
なんと!1個250ドル!���[
日本円で約2万5千円!���[��
それを1日2回!�A�b�v���[�h�t�@�C��
1日で5万円!jumee��faceA76
1週間で35万円!�K�[��
それが6週間!�������

保険があってよかった~。����@�p�`�p�`

自分たちの支払いは無し!
ありがたや~、ありがたや~。jumee��faceA79

つづく

ランキングにポチッと!いつもありがとうございます!
�N���b�N���ĂˁB


テンプレートを変えてみました!

最近、無性に金魚が欲しくて
ペットショップに行く度眺めています。
季節も夏となったことですし、しばらくは
この金魚さんで我慢します!
うちの猫ちゃんが見上げているが面白いでしょ?

抗生物質の点滴

ダンナさまは膿みやすい体質です。

感染専門のドクターが診察に来ました。

あれだけ頭蓋骨と皮膚が膿んでいたのに、
熱を出したりしなかったのは不思議だというのです。

今思えば私も、よく平気だったなと思います。

そこで、今度はそんなことがないように、
ロスに帰ってから6週間、
抗生物質の点滴をするように指示されました。

面倒くさい。。。非常に面倒くさい。。。

これはロスに帰ってからも落ち着いていられない。。。

というか、退院の手続きの時からもう、
バタバタでした。

ロスに到着してすぐ始められるように、
コーディネーターが、薬のデリバリー会社に連絡。
同時に訪問ナースの会社に連絡。

私達の住んでいる近所の所と契約をしてくれました。

薬が強いので、普通の点滴の仕方では
血管がすぐにダメになってしまいます。

そのため、6週間点滴の針を入れ替えることのないやり方があります。

Xー線を見ながら、細いチューブを血管に通していき、
心臓近くの血管まで送ります。

このチューブは6週間入れっぱなしになります。

コーディネーターの説明がいまいち理解できず、
ロスに帰ってから自分たちがどうすればいいのか
明確ではありませんでした。

それで私達は、帰りのピッツバーグ空港に着いてからも、
飛行機の待ち時間にコーディネーターに電話をしていたのです。

結果、全てコーディネーターが手配してくれていて、
私たちが心配することはなかったんですけどね。。。

そしてロスに着いた夜。
コーディネーターが手配してくれた薬屋さんが
私達の帰る時間を知っていて、
夜の9時に早速点滴一式が届いたのでした。

次の朝には訪問ナースの会社から電話があり、
早速ナースが家に来たのです。

うーん。さすが!
コーディネーターさん!ありがとう!

ひとりで右往左往した自分がおかしくなりました。

英語が分からないって不自由なんですよ。
特に医療の言葉とか。
英語をハングリーに勉強してない葵ちゃん。
反省。。。

つづく

�L�e�B�����アメリカではやっぱり、医療も大学も東がトップですね。西は質が落ちると痛感しました。
医療関係者の対応でわかります。
福島先生も西の医療機関に首をかしげている一人です。言っちゃったー!
これナイショですよ。��

ランキングに応援ポチよろしくお願いします!
�N���b�N���ĂˁB

ありがとうございました!

術後

今回の手術は簡単だからと皆に言っていました。

ウエストバージニアのお友達と
私達が滞在しているファミリーハウスの
スタッフたちにもそう言っていたのです。
(ファミリーハウスの詳しいことは
 カテゴリの”福島先生の手術”をご覧ください。)

ところが、術後のダンナさまは。。。

顔がパンパンに膨れ上がっていました。

しまった!
術後に顔が腫れることを忘れていたー!

だって、予定外の手術だったから。。。
大きく皮膚を剥がして、頭蓋骨をいじることになったから。。。

3日くらいでロスに帰ると豪語していた私は
予定外の手術をしたということが頭にありませんでした。

こりゃー、うっかり。
これで1週間はここに滞在決定!

ダンナさまはメチャクチャ痛がっていました。
その度に私がナースに頼んで痛み止めの注射をしてもらいました。

私が聞かない限り、ダンナさまは痛みをこらえます。
日本人って我慢強いんですよね。

痛みに耐えている身体のストレスを考えると、
痛み止めを使った方が身体は楽なんです。

ファミリーハウスのスタッフ(ボランティア)のひとりが
私達が再び来ていると聞きつけ、病室にお見舞いに来てくれました。

このおばあちゃんは昔、ロスに住んでいて、
しかも、私達が住んでいる同じ通りに家があったのです。

白人のかわいいおばあちゃんです。
おばあちゃんは私にハグをして、キスをしてくれました。

ダンナさまも喜んでいました。

痛み止めは2日くらい注射で、速攻できくようにしていましたが、
じょじょに飲み薬で納まるようになりました。

その頃には顔の腫れも引き始め、
ダンナさまの病室は、いつもお友達が来てくれて、
にぎやかになりました。

私の頭の中は、ロスに帰る準備でソワソワしていました。
なにせ、術後1週間の病人を
飛行機に乗せて帰らなければいけないのですから。。。

つづく

�L�e�B�����骨をいじると、人体は必ず腫れます。これは口の中も同じです。
抜歯など、骨に過剰の負担をかけると腫れるんです。
そして痛みを和らげるために冷やしますが、冷やしすぎるとまた腫れてしまいます。
冷やし過ぎに注意しましょう!
葵さんの一口メモでした!

ランキングに応援ポチよろしくお願いします!
�N���b�N���ĂˁB

ありがとうございました!

2度目のウエストバージニア

アパートの鍵を友達に預け、猫世話を頼み、
1週間の予定でウエストバージニアに行きました。

病気でウエストバージニアに戻って来たくはなかったけど、
友人や知り合いになった人たちと会うのは楽しみでした。

なにもかも知り尽くした病院です。
今度はなんと気が楽なことか。
手術も生命がけのものではないし。

福島先生の話だと、
ほんの部分的な手術だからすぐに終わるということでした。

手術当日、私は前回のようなことがないよう、
厚着をして、ブランケットをかぶって
待合室に待機しました。
(前回待合室が寒くて熱を出したので。
 詳しくはカテゴリの”福島先生の手術”をご覧下さい。)

今回は気楽に待っていましたが、
そのうち予定時間が過ぎてきたので、
急に心配になりました。

手術が終わったのは予定時間を大幅に超えていたのです。

福島先生は形成外科医の手術に立ち会ってくれていました。

手術室から出て来るなり、
”葵さんごめんね。”と福島先生がいいました。

なにがごめんなのか、急にあやまられても。。。

実は頭を開けてびっくり!
一部分だけ膿んでいると思っていたのが、
皮膚の切り口に沿って、端から端まで膿んでいたというのです。

原因は医療用の接着剤。

結局、端から端まで皮膚をはがし、
きれいに殺菌して、抗生物質を塗ったそうです。

その上、穴が開いていた付近の皮膚は
ボロボロになっていました。
縫えない状態だったため削除し、
健康な皮膚を引っ張り上げながら縫合したそうです。

それでかなり時間を費やしたということでした。

まさにシワ伸ばしのリフトアップ!
顔の整形をしちゃったようなもんです。

こんなに大変なことになってるとは
ドクターたちも考えていなかったので、
福島先生は申し訳なかったと言ったのでしょう。

これで3日くらいで帰れるなー、と
簡単に考えていたのですが。。。

そう簡単にはいかなかったのです。

つづく

�L�e�B�����このブログを始めるにあたって、福島先生の名前や写真を使わせていただくことは許可をいただいています。
いつか福島先生の写真を掲載することがあるかもしれませんねー。
お楽しみに!

ランキングにポチッとよろしくお願いします!
�N���b�N���ĂˁB

ありがとうございました!



再びドクター福島!

ダンナさまは、2006年、
頭のリハビリセンターにいた頃から、
頭から膿みが出始めました。�K�[��

縫ったところの1部から穴が開き、
オデコの真ん中と、髪の毛の生え際から
出てきたのです。

痛みはなく、本人は平気な顔をしています。

福島先生にこのことを話すと、
プロキサイドで毎日消毒して、
バンソコウを貼っておけばいいと言われました。

私もいつかは治るだろうと、
毎日消毒して済ましていたのです。

ところが!膿みと一緒に
細かい骨のようなものが出て来るではありませんか!���[��

元、デンタルアシスタントの私は、
それが人口骨のパウダーであるとすぐにわかりました。

穴はじょじょに広がり、
しまいには骨の固まりが出て来るようになったのです。

そのうち出て来る骨の固まりのほうが大きくなり、
穴から出すことができず、ピンセットで引っ張って出したくらいでした。

これは、人口骨がうまく定着しないで
変な骨を形成したせいだとわかりました。

私は、ダンナさまのオデコから
骨のかけらを取り出す手術(?)を毎日していたのです。��

アメリカにいると決めたし、さっさと
この穴を閉じる手術をしてもらおう!

ロスで済めばよかったんですが、
他のドクターが手術したあとはどのドクターも
やりたがらないのです。

アメリカは訴訟大国ということもありますから。

何かあったら困るということなんだと思います。

仕方がないので、再びウエストバージニアの
大学病院に行くこととなりました。

脳腫瘍の手術は福島先生ですが、
頭を閉じるのは形成外科医です。

福島先生を通して、その形成外科医に
手術してもらう準備をしました。

前にも話しましたが、
幸いなことに民間の保険会社の方から
ホームドクターが訪問してくれてましたので、
そのドクターがここでのレントゲンなどの
手配をしてくれました。

私はダンナさまの傷口を写真に撮って送りました。

福島先生の話だと、その傷口をきれいに
するだけだから、3日くらいで退院できるということでした。

そして、2007年8月、
私達は再びウエストバージニアに行ったのです。

つづく

�L�e�B�����すでにウエストバージニアにお友達になった人たちがいたので、この時は精神的に楽でした。
次回はウエストバージニアでのお話になります。お楽しみに!

ランキングにポチッと応援よろしくお願いします!
�N���b�N���ĂˁB

ありがとうございました!


帰国せず、アメリカに残る理由

アメリカには戸籍登録というものがありません。
その代わりにソーシャルセキュリティーナンバーというものがあります。
国民1人1人の番号とでもいいましょうか。
この番号で税金を払ったり、年金の支払いをします。

管轄はソーシャルセキュリティーオフィス。
社会保障の政府機関です。

働いている時はここに税金を納めます。

そしてリタイア後、納めた税金に対しての保証、
年金と、日本でいうところの老人健康保険が受け取れます。

もちろん、失業保険や、労災の保証もあります。

ダンナさまは脳腫瘍の手術を受けてから、
労災のようなもの(アメリカでは障害者年金といいます)
をもらっていました。

すると、2007年に入ってから、
頻繁にソーシャルセキュリティーオフィスから
老人健康保険のお知らせが届くようになったのです。

これは65歳になってからもらえる
健康保険です。

私は、ダンナさまには関係ないと思ったので、
まともに読みもせず、放っておきました。

ところが、あんまり送ってくるので、
よく見てみました。

老人向けに大きな文字で分かりやすい英語で
書いてあったので、すぐ理解できました。

なんと!障害者年金を2年以上もらっている人には
年齢がいくつでも国の健康保険を与えるというのです!

知らなかった!

私の周りの日本人に聞いても、
誰もそんなこと知りませんでした。

他の人種の人たちは知っていましたが。。。

いかに日本人がのほほ~んと生活しているか、
思い知ったのです。

他の国の人たちはものすごくハングリーに
異国で暮らしています。

税金をまともに払ってなくたって、
国からもらえるものは取ってやろうというぐらいです。

まあ、とにかく、ダンナさまは
国の健康保険をもらえるということになりました。
(100%カバーする治療もありますが、
 だいたい2割負担です)

こうなると、まずはこの保険で医療費が払われ、
残った2割負担分を、もともと持っている
民間の保険に請求します。

すると自腹で払う医療費がぐーんと減るのです!

なんてありがたい!

私は日本での医療費や、薬代など、
ダンナさまが必要とする金額を調べていたので、
アメリカにいた方が得かもしれないと考えたのです。

それに実は、ダンナさまはアメリカ市民権を
取得しているので、日本に帰ったら、
アメリカ人として生活しなければならなかったのです。

家を売って、日本に帰ろうと考えたのは、
家の借金をチャラにすることだけではなく、
医療費が払いきれないからでした。

医療費の支払いが楽になるなら
アメリカにいれるじゃん!

ということになったのです。

しかし。。。もし猫ちゃんの検疫待ちがなかったら、
この保険をもらえることも知らずに日本に帰っていたでしょう。

なにを隠そう、日本に帰ると言ったのは私で、
ダンナさまはアメリカに残りたかったのです。

私よりも、ダンナさまの一念が勝った!と
いうところでしょうか。

今じゃ、猫、さまさまです!

つづく

�L�e�B�����今日は長編になってしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました!

ランキングにポチッと
�N���b�N���ĂˁB

ありがとうございます!

まだまだやることはあるなー

日本に帰ることは決めたけど、
何をして生計を立てよう。。。

私の苦悩は続いていました。�͂��A�b�v���[�h�t�@�C��

インターネットでダンナさまの実家近くの
アパートを検索して家賃を調べたり、

家を売って多少お金が手に入ったので、
日本でネイルサロンを開こうかと調べたり。
(ご存知の通り、私はカリフォルニア州の
 ネイリストのライセンスを持っています。)

それはもう、落ち着きませんでした。

アメリカ生活の最後だと思うと、
買い物もしたいし、遊びにもいきたい。

もんもんとしていたので、
フロリダ旅行に行ってしまいました。��s�@

この時は、死にそこなったダンナさまが
旅行に行けるようになったなんて!
と感激しました。jumee��faceA76

苦悩の中にも、たまには楽しいこともしなくっちゃ!

フロリダに行った次の月は
メキシコのカンクーンにも行っちゃいました。jumee��faceA176

これはお友達が、5つ星のホテルの招待状があるからと
私達にくれたのです。

自分は行く時間がないから、ぜひ使ってくれ、と。

カンクーンは高級リゾート地。
当然、自分たちには手の届かないホテルです。
こんなことがなければ一生行かれないです!

ホテル代以外はお金を使いましたけど。

実はこのお友達、卒業した高校が一緒なんです。

ロスで後輩と呼べる人に会うなんて。
いい後輩を持ったもんです!�ҁ[��

ここでもダンナさまは病気なんて思わせない
遊びっぷりでした。

なんとジェットスキーを運転して
スピード狂丸出し!

またもや私は感激しました。jumee��faceA76
こんな風になるなんて。。。ありがたい!

こんなに幸せな状況であるにもかかわらず、
私の頭の中はこれからのことでもんもんと
していました。

真っ青に輝くカンクーンの海を目の前にして、
ボーッと考え込んでいたのです。jumee��faceA148

つづく

�L�e�B�����お待たせしました!
次回はアメリカに残ることになった理由が明らかに!お楽しみにー!

�L�e�B�����葵さんのショップに新しい商品が追加されました!見るだけでも楽しいのでどうぞ!
左のリンク”aoi-shop"をクリック!

ランキングに参加中!応援ポチよろしくお願いします!
�N���b�N���ĂˁB

ありがとうございました!

一人でてんやわんや!

日本に完全帰国をするとなったら、
まあー、あれやこれや忙しいったらありゃしない!

まずは、猫ちゃん2匹の検疫手続き。

法律が変わって、
わんちゃん同様の検疫が必要になったのです。

それも8ヶ月かかるというのです。

早いにこしたことはないのでさっさとはじめました。

それと同時に家を売る準備。

この時期(2006年)カリフォルニアの不動産バブルは
はじけ始めていて、家の価格が落ちてきていました。

これからまだ下がるだろうと思われていたので、
物件は動かなくなってきていたのです。

その上12月だったので、
アメリカはクリスマスで一番お金が忙しい時期。

お友達の不動産屋さんは頭を抱えてしまいました。

”売れる訳がない。。。”

でも私は一歩も引きませんでした。

私達は生きるか死ぬかの瀬戸際なんだ!
絶対に売れてくれなきゃ困る!

鼻息も荒く電話で迫ったのでした。

そして私の一念が勝ったのです。

2週間で買い手が決まってしまいました!

おい、おい、早すぎるだろー!

せいぜい、2、3ヶ月はかかると思っていたので。。。

今度はさっさと家を売り渡す準備を
しなければならなくなったのです!

こんなに早く売れちゃったら、
猫ちゃんの検疫まで半年はアメリカにいなきゃならない!

半年契約で住めるアパートを探さなければいけなくなりました。

毎日、毎日、日系スーパーの掲示板を見に行って、
ペットOKの所が1件。
それが今も住んでいるアパートです。

家一軒に納まっていた荷物の処分は大変なものでした。
毎週ガレージセールをして、売れるものは売りました。

それでも山と残った物は捨てました。

それから売る前の家の修理も大変でした。
屋根がぼろぼろで、一番お金のかかる所を
ほぼ全取っ替えです。

次は引っ越しの準備です。
かなり物を処分したと思っていたけれど、
結構荷物がありました。
引っ越してからも処分したものはたくさんありました。

怒濤の12月を過ごし、
2007年のお正月はこのアパートで迎えたのでした。

つづく

�L�e�B�����いつも訪問ありがとうございます!

ランキングにポチッとよろしくお願いします!
�N���b�N���ĂˁB

ありがとうございました!

病気は落ち着いてきたけれど。。。

病気が落ち着いたと思ったら、
次はお金の問題が。。。

家があったので、それをもとに
借金をしましたが、それももう、底をつきます。

この家は私の両親が残してくれたお金を
頭金にして買いました。

私の父はガンだったのですが、
余生をロスで一緒に過ごしたいという
私の希望を叶えるために買いました。
(母はこの時、すでに他界していました。)

父はこの家で3ヶ月を過ごし、
日本に帰国してから亡くなってしまいました。

この家を手放したくない。

かといって、これ以上ローンを払うこともできない。

私一人の収入では
どうにもならないところまできていました。

仕事に向かう車の中で、泣いたものです。

ある朝、仕事に向かう渋滞のフリーウェイを
のろのろ走りながら考え込んでいました。

私は、両親が与えてくれたといってもいい
この家を手放したくない!

手放してしまうのは両親に申し訳ないと
思っていたのです。

もし、両親が生きていて、
家を売ると言ったら、どう思うだろうか?

絶対にやめて!というだろうか?

そんなことを考えていると、
不思議なことにフッと両親の思いが分かったのです!

両親は、家がどうのこうのと言わないだろう。

一番は、私達が幸せになることを望んでいるんだ!

そうだ!家という物に執着していたのは、
実はこの私だった!

両親が望むように、
私達は幸せにならなくっちゃ!

そう分かった私は、感動で涙が出ました。

もんもんと悩んでいた私は、
切り替えも早かった!

ダンナさまとこれからのことを話合いました。

もう、ローンを払えなくなってきたんだから、
家を売って日本に帰ろう!

家を売って、借金を返しちゃえ!

そう思ったら急に気が楽になったのでした。

つづく

�L�e�B�����日本に完全帰国しようとした私達がなぜまだアメリカにいるのか?
その謎がこれからじょじょに明らかになっていきます!お楽しみに!

ランキングに応援ポチよろしくおねがいします!
�N���b�N���ĂˁB

ありがとうございました!






歩いたのに血糖値が上がったわけ

内分泌科のオフィスには
いろいろな雑誌が置いてあります。

中には糖尿病専門雑誌もありました。

私は、もっとしっかり糖尿病の勉強を
しておけばよかったという反省もあり、
その雑誌を見ていました。

英語もよくわからないのに。。。

でも、ある小さな記事に目が止まったのです。

そこには、”なぜ運動したら血糖値が上がるのか?”
とありました。���[

まさに私が欲しかった答えです!jumee��faceA76

必死で難しい英語を読んでみました。

何度も、何度も。

そしてやっと理解したのです!����@�p�`�p�`

運動すると、筋肉はエネルギーを消費します。
エネルギーを出すということは、筋肉は糖を必要とするのです。

糖尿病患者はインシュリンが少ないなめ、
糖を全部分解できません。

そんな状態で運動すると、
筋肉は糖が必要なのですから、
身体はどんどん糖を送り出します。

インシュリンが追いつかず、
糖だけが残ってしまうのです。

これが運動すると血糖値が上がるシステムです。

ただし、血糖値が正常範囲以内であれば、
適度の運動は効果があります。

血糖値が300以上の場合は
運動してはいけないのです。

その時、私はその雑誌をドクターに見せて、
こういうことだったんですね!
と自慢げに言ったのでした。�܂������

つづく

�a�@かくれ糖尿病というのもあるそうです。
これは食後の2時間だけ異常に血糖値が上がります。
それが朝、昼、晩、と1日3回あるのです。1日合計6時間。
これが長年続くと糖尿病に!健康診断では、空腹時に血糖をはかるので、見つけにくいのです。
怖いですねー。

ランキングに参加しています!応援ポチよろしくお願いします!
�N���b�N���ĂˁB

おそるべし!糖尿病

2006年、年末。

なかなかダンナさまの血糖値が
下がらなくなっていました。

一生懸命歩いているのに。

そんなある日、
夕飯前に血糖値を量ると、なんと!300!���[��

これはもう身体は満腹状態!

普通の人なら満腹でもここまで上がらない!

これは大変だ!ということで、
いつもより余計に歩きました。�݂����܂�

帰ってきて、下がってることを願いながら
再び量ると。。。

なんだ!これは!
な、な、なんと!500!�A�b�v���[�h�t�@�C��

それでも本人はなんともないというのです!

ここで訪問ドクター登場です!

早速、電話をして、指示を仰ぎました。

その日の夕食は鍋だったので、
野菜と鶏肉だけ食べて我慢しなさいといわれました。

それから寝るまでに何回も量って、500以上になるか
検査するようにいわれました。

幸い、500以上上がることはなかったので、
朝に家に来てくれることになったのです。

そのドクターが内分泌科のドクターに連絡をしてくれて、
無理矢理アポイントを取ってくれたのです。

そしてとうとう、
インシュリンのお世話になってしまったのです。

もう、飲み薬じゃ間に合わなかったんです。
すぐさま血糖値を下げなければならなかったから。。。�͂�

でもなんで?がんばって歩いていたのに。

なんで歩いた後に上がってしまったんだろうか?

ずーっと疑問でした。�͂Ă�

内分泌科のドクターに聞いても、
そうこともあるんだよ、ってな具合で
詳しく話してくれませんでした。

たぶん、私が英語がよく話せないから
説明しても無理と思ったのかも?jumee��faceA148

しかし、私は執念で、その原因を見つけ出したのでした!���C�撣�邼�B���[��B

つづく

�a�@アメリカと日本では血糖値の基準が多少違うかもしれませんが、望ましい数値を参考までに明記してみました!
指先の血液ではかる場合。(針で指先を刺し、血を採るもの。もちろん、専用の針なので
痛くないですよ。)
食前/普通の人 100以下(80前後)糖尿病 120以下
食後/普通の人 140以下      糖尿病 180以下

ブログランキングに参加しています!
�N���b�N���ĂˁB

いつも応援ありがとうございます!励みになります!

ありがたい保険制度

脳腫瘍とステロイド摂取の副作用で
血糖値の高かったダンナさまに対して、
糖尿病にならないよう、注意していました。

ドクターに指示されたわけではありませんが、
血糖値を計る機械で毎日検査していました。

炭水化物を少なくしても、なかなか血糖値が下がりません。

そこで歩くようにしたのです。

すると血糖値は下がりました。

血糖値を下げるのには
運動すればいいんだとわかったのです。

晩ご飯の前とか、後とかに歩く習慣にしました。

そんな時、保険会社から連絡が。

定期的にドクターを家まで派遣するというのです。

それも全額保険でカバーするというのです!

ここはアメリカ!簡単にうのみにするわけにはいきません!

私は疑って、何度も何度も確認しました。

やっぱり全額保険が出るというのです。

聞いてみたら、
なるほど~。
病院に運ばれるような事態を未然に防ぐということらしい。

ダンナさまが今まで使った医療費はとんでもない額になります。

頭の手術だけでも、家一件分。

ダンナさまは頭に家一件乗せて歩いているようなもんです!

それからも入院につぐ、入院。

保険会社はたまりませんよね。

おおごとになる前に対処しようというのです。

こっちとしたらなんてありがたい!

それも24時間、なにかあったら連絡していいのです!

ドクターはたまりませんが。。。

アメリカのはこのような訪問専門のドクターもいるのです。

そして早速、このドクターが活躍する日が訪れることになります。

ダンナさまの血糖値上昇によって。。。

つづく

ランキングに参加しています!
�N���b�N���ĂˁB

応援ポチありがとうございます!

薬の種類が多すぎる。。。

リハビリセンターを卒業して、家に帰って来た当時、
薬の種類が増えていました。

薬代もバカになりません。
全部で11種類も飲んでいたのです。

疑問に思った私は、
インターネットで薬を徹底的に調べました。

そして、内分泌科のドクターに突っ込んできいたのです。

だって、血圧を上げる薬と、下げる薬を飲んでいるのです!

その上、精神安定剤まで!

ドクターいわく、
その時に出た症状の度に薬を飲ませ、
症状がなくなってからも、調べずに、飲ませ続けたのだろう。
ということでした。

血圧が下がったから、上げる薬を飲ませ、
今度は上がりすぎて、下げる薬を飲ませ。
という具合です。

眠る前の安定剤は、
おそらく夜はスタッフが少ないので、
薬を使って眠らせていのかもしれません。

私は怖くなりました。

私が疑問に思って調べなければ、
ずっと飲み続けていたことでしょう。

内分泌科のドクターだって、
私が相談しなければ、前から処方されているものを
そのまま出し続けたことでしょう。

これがアメリカです。

自分の身は自分で守る!
ドクターにだって患者側から突っ込んで問いかける!

医者から言われた薬をなにも考えずに飲んでいる人が
いかに多いことか!

それからは精神安定剤も止めさせました。
飲み続けていたら、うつ病になる危険性があったからです。

頭のてんかん止めの薬も、
ダンナさまの場合、一生飲むものではないと分かったので、
福島先生に連絡をとりました。

やっぱり、もう飲まなくてよかったのです。

一気に薬が7種類に減ったのです!

今はインスリンが必要になってはいますが、
飲み薬は4種類になっています。

そして私は常に、
ドクターに強気で突っ込んだ話をしています。

こちらの病気に対する真剣さを見せるために。

内分泌科のドクターはとっても良くしてくれます。

実は、血圧が下がって慌ててERに行った時、
もうダメだと思っていたらしいのです。

このドクターズオフィスの皆がそう思っていたと。。。

復活して、再び訪れたときは、ナース達もびっくりしていました。

今更ながらですけど。。。
そんなに危ない状態だったんですね。

ダンナさまの生命力ってすごい!

つづく

�a�@私は医療のこととか調べるのが大好きなんです!
私の愛読書は”家庭の医学”。
薬の本も大好きです!
自分の飲んでいる薬を調べるならアマゾンでチェック!
この左下に紹介しています!

応援ポチよろしくお願いします!
�N���b�N���ĂˁB

ありがとうございました!



ダンナさま復活!

すごい!
やっぱり、その道のプロに任せるとすごい!

とうとうダンナさまはまともになった!

もの忘れはあるものの、ヒントを与えると
思い出せるようになったのです。

施設で最後の方には、
自分で洗濯物をしたりしていました。

アメリカは洗濯物を外に干すことはあまりしません。

全て乾燥機に入れます。

ダンナさまは、
”もう乾燥終わったかな。”

と洗濯ルームに確認に行きます。

すごい!忘れてないじゃん!

そして、丁寧にたたんでいます。

やったね!
これでうちに帰っても洗濯はできる!

しめしめ。私、楽できるじゃん!

リハビリセンターを卒業して、家に戻ると、
洗濯どころじゃありません!

包丁にぎって料理もできるのです!

もちろん、火の始末は私が確認しますが。

それでも、火に関しては毎日のように、
注意をうながすと、必ず最後には全ての火元を
確認するようになりました。

料理は脳のリハビリにものすごくいいんです。

料理は段取りが大切なので、常に次のことを考えますから、
脳がフル回転するのです。

今はほとんどダンナさまが食事の用意をしてくれるので、
私がボケそうです!

つづく

�L�e�B�����葵さんがショップを開きました!
左のリンク”aoi-shop”をクリックしてのぞいてみてください!
アメリカからのお届けなので、見るだけでも楽しめると思います!

応援ポチ
�N���b�N���ĂˁB

社会復帰の為のリハビリ

ダンナさまのリハビリは、
頭の回路を正常に戻すためのものでした。

少なくとも、家に帰ってから、
普通の生活を送れるようにならなければなりません。

保険がカバーするのは3ヶ月間。

この間になんとしてでも、
まともになってもらわなければなりません。

最初は不安だった私も
ダンナさまが少しづつ変わっていくのを見て、
希望が持てるようになりました。

ダンナさまの状態が、だいぶ落ち着いてくると、
土曜日は外に出て、社会の勉強をするようになりました。

皆でバスに乗って、ショッピングモールや、
イベント会場に行き、
買い物の仕方や、チケットの買い方などを学びます。

例えば、
各々、課題を与えられ、その課題をクリアしていきます。

リンゴの値段を調べてきなさい。とか
5ドルで何個買えるか。とか

外に行けるということで、
ダンナさまはそれはもう、楽しんでいたようです。

感動したのは、
私の誕生日にハンドバックを買って、
プレゼントしてくれたことです。
(安いものですけど。)

施設のスタッフに相談したらしく、
スタッフが買い物に連れっていってくれたそうです。

土曜日に外へ出るようになって、
少しお金を持たせていたので、
自分で使わず、それで買ってくれたようです。

私の誕生日は覚えているって、たいしたもんです!

って、いうか、怖くて忘れられなかったのかも!?

こんな具合で、週末外泊許可が出て、
週末は家で過ごせるようにまでなったのです。

つづく

�L�e�B�����アメリカで医療関係者の専門はものすごく細かく分かれています。
それぞれがプロなので、そのプロに任せるとこんなにも違うものかと実感させられました。

応援ポチよろしくお願いします!
�N���b�N���ĂˁB

ありがとうございます!

エスケープマン!

リハビリ施設に入居して、
血圧が下がるたび、ERに運ばれました。

病院はリハビリセンターの直ぐ近くでした。

仕事中に施設から
入院したと連絡が入る度、

スタッフは何をやっているんだ!

と腹が立ちました。

その度、友人達に心配をかけることに
なってしまって。。。

入院中も頭はとんちんかんだし、
ちょっと絶望していました。

もちろん、治ると期待もしていましたが。

お見舞いに来てくれた友人に
妄想話をして、ずいぶん心配をかけたりしました。

たぶん、友達も絶望したことでしょう。

ある日、病院に行くと、
ナースが私の所へ来て、

今日、ダンナさまが部屋からいなくなった!

というのです。

でた!脱走犯!

警備のスタッフやら、ナースやら、
皆で病院中を探したというのです。

本人に問いつめると、

”朝だから、パンを食べようと思って
 買いに行ってただけだ。”

というのです!

どうやら、病院のカフェテラスで
食べ物を買っている所を発見されたらしい。

病院で朝ご飯は出たはずなのに。

よっぽどお腹が空いていたんでしょう。

それからは

”彼はいつも病院をエスケープするから
 気をつけて!”

と、ナース達に念を押すようにしました。

私は

”このエスケープマンが!”

とダンナさまを叱りとばしました。

自分の置かれている状況がわからないので、
何を言ってもダメなんですけどね。

自分はなんで病院にいるかも忘れてしまうのですから。

困ったエスケープマンでした。

つづく

�L�e�B�����そんなこんなで私もアメリカの病院にかなり慣れ親しんだものです。こんなこと慣れたくはないですけどね。

ランキングに参加しています。応援ポチしていただけたらうれしいです!
�N���b�N���ĂˁB

ありがとうございます!

リハビリセンターに入居

ダンナさまを退院させることに
困っていた私の様子を見て、

病院のカウンセラーが
リハビリセンターに入居してはどうかと
話を持ってきてくれました。

保険は3ヶ月間ならカバーするというので
その期間ダンナさまを預けることにしたのです。

家から何本ものフリーウェイを
乗り換えて1時間の所です。
アメリカでフリーウェイを1時間走るというのは
結構な距離になります。

まあ、走り屋の私は45分で行ってましたが。。。
(速度違反常習者です!)

その施設は、身体のリハビリが必要な人と
頭のリハビリが必要な人に分けられます。

もちろん、ダンナさまは頭のリハビリの方。

ドクターとナースも常駐しています。

1部屋2人なんですけど、
ダンナさまの部屋の人は
毎晩ロビーのソファーで寝ていて、
昼間もほとんど部屋にいないような人でした。

気を使うことが無かったので、
過ごしやすかったようです。

食事は全員でダイニングルームで食べます。

じっとしていられないダンナさまは
スタッフと一緒に食事の用意を手伝っていたようです。

たぶん、自分はここのスタッフのつもりでいたかも?

そして最初の頃は、
またもや脱走ぐせが出たらしく、
玄関をでるとアラームが鳴るように
手首に機械を取り付けられていました。

アメリカではよくあるんですよね。
病院から脱走した人が、
入院着のまま病院のまわりをウロウロしてること。

入院着はかっぽう着のような形で、
診察を簡単にできるように下着もつけません。

そのため、
脱走者はおしり丸出しでフラフラしているのです!

まあ、ここはリハビリ施設なので
普通の洋服だから、ダンナさまが
脱走してもおしり丸出しにはならないんですけど。

この施設に入ってからも
ダンナさまは、2回もERに運ばれてしまいました。

まいった、まいった。

つづく

�L�e�B�����このリハビリセンターに入って、どこまでダンナさまが普通になるのか!
これからの話も乞うご期待!(これは2006年の話です。)

応援ポチ、よろしくお願いします!いつも励みになります!
�N���b�N���ĂˁB

ありがとうございます!

頭がおかしくなったその後

緊急入院をした病院では
もう、治療するこがなくなりました。

身体はいいけど、頭の方はわかりません。

退院のためのカウンセラーが、
これからのプランのため私のところへやって来た。

もう少しリハビリが必要だから、
違う病院に移りましょう。ということだった。

家から遠くなっちゃうけど、
その方が私も安心なので、
保険がカバーするならと承諾しました。

当時私は仕事をしていたので、
ずっと病院で付き添うわけにはいきませんでした。

リハビリの病院に移るときも
私は仕事だったので、
救急車で搬送してもらいました。

その病院で、脱走ぐせがつき、
自分ではベットから抜け出せないように
ベットをまるごとテントのように
ネットで包まれていました。

四角いネットの中でダンナさまは
赤ん坊のようでした。

テントから出たいダンナさまは
テントのファスナーをしきりにいじっていましたが、
中からは開けられません。

その姿を見たとき、なんか動物扱いのような
気がして、むなしくなりました。

人が一緒にいるときは出してもらえるので、
なるべく病院にいるようにしました。

このときの状態は、
私とか友達を忘れるようなことはないのですが、
本人は夢の中で生きているような様子でした。

自分の今の状況判断ができず、
勝手に頭の中で考えてることしか
話にでてきません。

ほとんど妄想話です。

私は、
”もう、終わりだな。”と
あきらめた覚えがあります。

しかし、身体のリハビリはどんどん進み、
力強くズンズン歩けるし、平行感覚や物を認識する
能力も問題ありません。

問題なのは頭なのになー。
身体のリハビリは用かないんだけど。。。
まあ、家でなにもすることがないよりましかー。

などと思っていました。

1週間もすると、またまた退院のための
カウンセラーが私のところへきました。

24時間一緒にいられる人はいるか?というのです。

仕事があるので、昼間は無理というと、
ホームヘルパーの会社を紹介してくれました。

私達が日本人なので、
日本人の所のパンフレットをくれました。

電話して金額などを聞いてみると、
とても高くて払いきれません。

悩みました。

ダンナさまがひとりの時に一番心配なのは
事故です。火の始末とか。

火をつけたまま忘れるとかが怖い。

だったら、絶対にキッチンで火を使わないように
お昼とかチンする食べ物を用意すればいいか。

ホームヘルパーは頼めないんだから、
覚悟を決めて、ダンナさまをひとりにするしかない!

もう、どうにでもなれ!

やけくそで退院させることを決めたのでした。

�L�e�B�����訪問ありがとうございます!そしていつも応援してくださる皆様、ありがとうございます!

応援ポチ
�N���b�N���ĂˁB

命の生還から6ヶ月目

2006年1月。
内分泌科の通院の日。

ナースがダンナさまの血圧を計るなり、
心配顔に。

”血圧が低い。。。”�͂Ă�

ドクターが再び計るも、やはり低い。

真っすぐ歩けるかとかいろいろやったあと、

”ERに今直ぐ行ってくれ!”�a�@

えっー!いったい何が!���[

幸いなことに、このドクターオフィスの
道をはさんだ隣がERのある病院でした。

ドクターが直ぐにERに連絡をしてくれて、
待つことなく、検査にはいることができました。

血圧が異常に低く、血液の塩分濃度が異常に高く、
脳の手術をしているので頭のCTも撮りました。

脳の手術をした後、身体のナトリウム量が増えてしまうと
脳は腫れてしまうのです。

そうなると、頭はとんちんかんになるのです。

ヤバい、これはヤバい!�K�[��

内分泌科の先生が後から駆け付け、
脳神科医もダンナさまを診てくれました。

そして即入院となってしまったのです。

ウエストバージニアから帰って来てから
普通に生活はできていたのに。。。

でも確かに水分摂取量が減っていたかも。。。

ナトリウム量が高くなったということは
頭がおかしくなったんだ!

この先どうなるんだろう。。。�������

疲れきった身体で家に帰った夜。

病院から電話が!

ダンナさまがあばれているから来てくれというのです!

またか。。。またやっちまったのか。。。jumee��faceA76

入院すると必ずこのパターン。

覚悟を決めて病院に。

ダンナさまはナースの監視のもと、
手をベットに縛られて怒っていました。

私が来たことをいいことに、
ナースはダンナさまを私にまかせ、
部屋を出て行ってしまいました。

さあ!ここから私とダンナさまのバトル開始です!�撣�邼�B���[��B

ダンナさまは麻薬中毒者のように
目をギンギンにさせていました。

言うことはチンプンカンプン。

幻覚も見ているようでした。

私が落ち着いて状況を説明するも、
理解できる状態ではありませんでした。

私は直ぐに悟りました。

こりゃー、大量にステロイドと精神剤を与えたな!

勘弁してー!
身体の大きいアメリカ人とは違うんだから!
量を考えろよー!���C

おしっこをしたいと言うので
尿瓶でするように言うと、

”子供達が見てるからここではできない”とか、

”友達がそこに立ってる”とか

幻覚をおこしていました。

しまいには、無理矢理尿瓶を
ふとんの中に入れようとした私に向かって、
尿瓶で殴ろうとしたのです!

私はキレました。

”よくもこの私にそんなことできるわね!
あんたの面倒なんてもう見ないからね!
私に見放されたらあんたはどうやって生きていくんだ!
一人でやっていけるんだったらやってみな!”

深夜のICUに私とダンナさまの怒鳴り声が響き渡っていました。

ナース達はびっくりしていましたが、
知ったこっちゃありません。
どうせ日本語でわかんないし。

私のだたならぬ怒りを見たダンナさまは
しばらくするとおとなしくなり、

”葵ちゃんと別れたくないよ~。”と
泣き始めたのでした。jumee��faceA129

麻薬中毒者ってこんななんでしょうね~。

薬が薄れてきたのか、少しおとなしくなったので、
6時間に及ぶバトルは終焉をむかえました。����@�p�`�p�`

朝6時にやっと解放されたのでした。�͂�

私、寝てません。。。�͂��A�b�v���[�h�t�@�C��

このバトルをダンナさまが覚えているわけもなく、
まともにつき合った私はいつもバカをみます。。。

私の睡眠時間をかえせー!�{��Ă��

�L�e�B�����いつも訪問ありがとうございます!まだまだ続きますので、お楽しみにー!

ランキングにポチッとご協力ください!ありがとうございます!
�N���b�N���ĂˁB

その後の治療

ダンナさまの脳腫瘍は
頭蓋咽頭腫というもので、
ホルモンを調節する器官にできます。
(下垂体腺腫とは違います。)

手術した後は、
内分泌科に通わなければなりません。

一番大事なのはステロイド。
いわゆる副腎質ホルモンです。

これを摂取しないと血圧を上げることができません。

ステロイドも1種類ではなく、
作用の違う2種類を必要とします。

それから甲状腺ホルモンも摂取しなければなりません。

後は身体の水分を調節するホルモンも機能しないので
のどが渇く感覚がなく、その上おしっこの調節ができずに
トイレばかり行くようになります。

そうすると脱水症状になってしまうので、
無理にでも水を飲ませなければなりません。

そのために、身体の水分調節の薬が必要になります。

この薬は、飲み薬と鼻の穴にスプレーして、
粘膜から吸収させるものがありますが、
ダンナさまは両方摂取しています。

それから男性ホルモンも必要で、
皮膚に貼って皮膚から吸収させるパッチタイプと、
クリームやジェルで塗るタイプがあります。

ダンナさまは、ステロイドを飲んでいるせいもあって、
皮膚が弱くなっているので、クリームを使用しています。

男性ホルモンというと、下の方と思うかもしれませんが、
男性にとって、筋肉を維持するのに必要なんです。

術後は特に、多量のステロイドを摂取しているので、
血糖値が上がります。

そのため、糖尿病にならないよう、
食事に気をつけなければいけません。

ドクターに指示されたわけではないのですが、
血糖値をはかるキットで毎日検査をしました。

その他は、脳のてんかんを抑える薬、
たくさんの薬を飲むため、便秘になるので、
便秘薬などを飲んでいました。

内分泌科のドクターは
ダンナさまが死にかけたことを知っているので、
よくやってくれました。

この先生がよく内容をわかって
対処してくれているので助かっています。

それにしても
薬代がばかにならないなー。

�L�e�B�����2005年8月のお話です。この後、またまた大変なことになるのですが、ダンナさまは今元気に生活しています!

ランキングに参加しています。応援ポチお願いします!
�N���b�N���ĂˁB

ウエストバージニア脱出!

ウエストバージニアのお友達に別れを告げ、
ロスに帰る時は、うれしくもあり、さみしくもあり。

また会いに来たいけど、
病院はご免です。
(と、いいつつ、2007年にまた行くことになるのですが。。。)

病院からピッツバーグ空港まで、
車で1時間半。

福島先生が用意してくれた車が
送ってくれます。

患者のために、送迎の車代を出してくれるのです!

(手術のために到着した時も、空港にお迎えが来ていました。)

もちろん、運転手さんには
チップを渡しますが。

福島先生、太っ腹!

飛行機は念のため、
車イスを用意してもらうよう
予約していましたが、

ダンナさまには意地があったのでしょう、

出発時には拒否しました。

そしてなんとか
5時間のフライトを終え、
ロスに到着。

フライトアテンダントが
私の所へやって来て、

車いすのリクエストが入っていることを
確認しに来ました。

私はダンナさまの疲れた様子を察知し、
ダンナさまを説得して、
車いすを用意してもらうことにしました。

案の定、
ダンナさまはぐったりとして、
ボーッとしていました。

係の人が車いすで運んでくれなかったら
どうなっていたことか。

ロサンジェルス空港には
お友達が迎えに来てくれていました。

なつかしい、ロスの空気でした。

つづく
�a�@福島先生の公式サイトは左のリンク”ドクター福島”からどうぞ。福島先生の書籍はアマゾンで購入できます。左下からどうぞ!

ランキングに参加しています。応援ポチよろしくお願いします!
�N���b�N���ĂˁB


ロスに帰っていいっていわれても。。。

福島先生は日本に行ってしまったので、
他の脳外科医がダンナさまを診に来ました。

”ロスにいつ帰ってもいいよ。”

元気なのにもういる必要がない。という感じでした。

いやいや、ちょっと待って!

右足がおかしいんだって!

飛行機に乗らなきゃならないんだから、
これじゃ無理!

私はリハビリ入院させてほしいと頼みました。

するとすぐ手続きをしてくれて
ダンナさまはリハビリ棟へ移されました。

そこは脳卒中などで倒れた
お年寄りばかりの病棟でした。

朝、晩と1日2回、リハビリルームに行きます。

夕食は皆で集まって、
ダイニングルームで一緒に食べます。

ダンナさまの食事は、
離乳食のような、全てペースト状でした。
脳の手術をしたので、
飲み込みが悪いとのどに詰まってしまうからです。

始めは水を飲みこめるかテストされ、
次の日はクラッカーなど固形物を
飲み込めるかテストし、
やっとペースト状のご飯を
口にすることになったのです。

しゃれたもんで、
それぞれの食べ物の形に盛りつけてあるのです。

グリンピースのペーストは
グリンピースが盛りつけてあるような型ぬきに、

お肉のペーストは
お肉の形に型抜きされています。

しかし、消化がいいので
すぐお腹が空いてしまいます。

ダンナさまはもう大丈夫だから
早く普通のご飯にしてくれー!
と思ったものです。

足の方も、1日、1日良くなっていって、
完全なる麻痺ではなかったので
ホッとしました。

そんなとき、夜の12時頃に
福島先生が私の携帯に電話してきました。

”えっ!ウエストバージニアにまだいるの!?”

福島先生はもうとっくに
ロスに帰っただろうと、
ロス時間の9時だと思い電話してきたのです。

私は事情を説明しました。
そして、ロスに帰ってからの
ダンナさまのことを話し合いました。

おかげさまで、リハビリ入院は
10日で終わることができました。

まだまだ、頭のリハビリは必要でしたが。。。

つづく

ランキングにポチッとご協力を!
�N���b�N���ĂˁB

手術が終わってからの恐怖!

手術が終わったからといって
安心はしていられません。

私にとっての恐怖はこれから始まるのです!���[��

ダンナさまは3日目位から動き出します。

点滴のチューブをしきりに気にしたり、
おしっこはチューブを通して
自動的にでてるのに、トイレに行こうとしたり、
うんちがしたくなるのもこの時期で、
ベットに寝たままなんて出来ない!と
怒りだしたり、
まあ大変なんです。

脳をいじっているので
精神が普通ではありません。

とにかくこの時期は
”麻酔銃を撃って眠らせてくれー!”���I���̏e
と思ってしまいます!(熊じゃないっての!)

そして、とうとう。。。
私がランチを買いに病室をちょっと離れたすきに。。。

やらかしてくれました!

廊下にただよううんちの激臭!

それはなんと!ダンナさまの病室から!

慌てて覗き込むと、そこには
漏らしたうんちの中でもがいているダンナさまが!�A�b�v���[�h�t�@�C��

(気分が悪くなった方、ごめんなさい!)

あーあー。
固いコロコロうんちだったらよかったのにー。

起き上がろうとしても、ツルツルすべって、
余計にうんちをばらまいている。

なんてこった。。。

ナースが2人がかりで処理をしてくれました。

身体中、例のブツでどろどろになったダンナさまは、
訳がわからない様子で、笑っているのです!�A�b�v���[�h�t�@�C��こわっ。

私は、買ってきたランチを持ったまま
くっさい病室で棒立ちになっていました。。。

もう、ご飯たべれねー。。。jumee��faceA75

例のブツが
あまりにも全身に及んでいるため
ナースはシャワーで洗い流そうと心みました。
(アメリカの病室は大部屋はなく、
全ての病室にシャワーがついています。)

ところが!
立たせようとすると
ダンナさまの右足が
きかないではありませんか!

やばい!これはやばい!

もしかしたら右足が麻痺してるかも!���[��

私はそっちの方が気になって仕方がありませんでした。

結局、ダンナさまは
消毒剤で全身を拭き取ったのでした。

なにもかもすっきりしたダンナさまは
そのあとすやすやと眠っていました。

私のお昼ご飯をどうしてくれるんだー!���C

ダンナさまはこれらのことを
一切覚えていません。

私の記憶の中だけに鮮明に残っています。

ショックだったなー。�͂�

もう、これ以上の恐怖はごめんだよー!

つづく

�L�e�B�����2005年7月の闘病生活です。今ダンナさまは料理したり、掃除機かけたり、主婦(主夫)してくれてます!

ランキングにポチッと応援願います!
�N���b�N���ĂˁB

福島先生が私に言わなかったこと

手術が終わっても、すぐには会えないので、
1時間後にICUの待合室で集合となりました。

お友達と合流し、待っていると、
福島先生がテレビのカメラマンと一緒に
駆け寄ってきました。

それもものすごい勢いで!

”早く!早く!”

と、私の手を引っぱって
ICUに駆け込んだのです。

”何事じゃ!?”

私は福島先生が、なんでこんなに興奮しているのか
さっぱり分かりませんでした。

すると、
”もう目が覚めてるんだよ!ほら!”

だからなに!?普通じゃん!
まったく、福島先生はオーバーなんだから。。。
と、思っていると、

”普通は目が覚めるまで3日ぐらいかかるんだよ。
でももう意識が戻ってる!
もしかしたら社会復帰できるかもしれないな。”

えーっ!?聞いてないよー!そんなこと!

テレビのカメラマンも
”いろいろ福島先生の手術に同行しているけど、
今日みたいな手術をすると意識が戻るまで
早くて次の日なんですよ。”
と、言うのです!

なんじゃそりゃ!
それで福島先生が興奮してる訳だ!
なるほどー。
って、なるほどじゃないです!

そういうことは言っておいてください!

以前の記事にも書きましたが、
ダンナさまは、もう助からない状態で、
福島先生に出会わなかったら
とっくに亡くなっている人でした。

手術して、
夫婦仲良く暮らせればいいんじゃないかな。
という程度でした。
福島先生はおそらく、
普通の生活には戻れないと思っていたのでしょう。

普通の生活とは、
仕事はできないけれど、
日常生活で、自分のことは自分でする。
という程度のことです。

それが、もっと自分でできる範囲が
広がるというのです!

なんてありがたい!

そして、後から聞いたことですが、
手術前、平然とクールに説明していた
福島先生でしたが、前の晩は、
”成功率は50、50。”
と考えていて、眠れなかったそうです。

心臓外科のスーパードクターが番組で言っていたなー。

”人の生命がかかっているんだから、
怖いのは当たり前です!
その恐怖感がなかったら
患者さんを助けることなんかできません!”

深いと思います。
究極を極めた人ならではだと思います。

その恐怖感があるから
手術を成功に導くことができるのです!

そして、福島先生が私に、
術後の細かいことを説明しなかったのは、
私に対する思いやりだったのでしょう。

目が覚めていなくても、
まだ麻酔がきいている、といえば
それで済むことだから。

やはり、
スーパードクターと名がつく人は違います!

そしてしばらくすると、
福島先生はテレビのカメラマンと共に
日本へ行ってしまいました。

つづく

ランキングに参加しています。応援ポチよろしくお願いします!
�N���b�N���ĂˁB


緊急!ERに運べ!パート1の訂正文

恥ずかしいことに、
�K�[��ノンフィクションをフィクションと書いてしまいました!�g�z�z

これは過去にさかのぼって書いていますが、
全て真実です。

おかしいと思った方がいたと思います。
困惑させてすみませんでした。jumee��faceA126

こんな私ですがこれからもよろしくお願いします!�����������Q�i�����j


最後のヤマ場

福島先生の2回目の手術。
とはいっても、これが最終手術。

とうとう一番危険な場所に手を出すということです。

最後の難関。
神経やら血管やらにくっ付いている腫瘍を
摘出します。

手術前日のカンファレンスで
厳しい状況になる、と
福島先生に言われました。

神経と血管から腫瘍を剥がすのが、
きわめて危険な場合、
腫瘍は取りきれないというのです。

手元が狂えば
ダンナさまは植物人間です。

ダンナさまの腫瘍はガンではありませんが、
再発性のものです。
残せば再発の危険が。。。

でも、無理をして
神経、血管を傷つけるなら
残してもらったほうがマシです。

私は、
”全て先生の判断におまかせします。”
と、ダンナさまの生命を預けたのでした。

今回は1回目と違い、
お友達がいてくれたので、
手術中も気が楽でした。

ここ、ウエストバージニアで
お友達になった人たちが
入れ替わり、立ち代わり
待合室に来てくれたのです。

本当にうれしかった!

手術が終わって、
福島先生の話を聞く時も
お友達と一緒。

ICUに会いに行く時も
お友達と一緒。

喜びを分かち合ったのでした。

手術の結果は。。。

福島先生が助手とテレビカメラと一緒に
私達のところへ来ました。

手術は成功!

一番心配していた、神経にくっ付いている所も
剥がれたというのです。

初めは、外科医泣かせの固い腫瘍で、
困難だったそうですが、
ある所まで行くと、
腫瘍がスルスルと取れやすくなり、
神経から剥がれたというではありませんか!

テレビのカメラマンが後から
教えてくれました。

腫瘍が容易に取れ始め、
神経から剥がれた時、福島先生は

”あー。神様が助けてくれた!”

と、叫んだそうです。

私もオペ室で手術の状況を見たかったなー!

手術は成功しましたが、
まだまだ私達夫婦(?)いや、私の困難は続くのでした。。。

つづく

�a�@福島先生の人物像が気になる方はアマゾンで書籍をゲットしてみては?
ダンナさまのおすすめは、”40代からの脳ドック”です!左下に掲載してます!

ランキングにポチお願いします!励みになります!
�N���b�N���ĂˁB





テレビの取材

ヨーロッパ、日本と、
福島先生の取材をしてきたテレビのカメラマンが
アメリカにも同行してきました。

福島先生からファミリーハウスに電話があり、
その取材に協力して欲しいというのです。

手術までまだ日にちがあったので
取材を受けたり、
ファミリーハウスを案内したり、
1日がかりで取材に協力しました。

もちろん、手術当日も。

ダンナさまの手術の撮影から、
終わった後のICUでの撮影まで。

これは、次回の福島先生の番組で
とり上げられるぞ!

と思いきや。

残念ながら
ギリシャから来た、3歳の女の子の方を
番組で紹介していました。

まあ、始めからカメラマンには
私達を取材しても
病気を抱えてしんみりしてることはないので、
番組的には使えないかもよ。
と言っていたんですけどね。

とにかく、私達は
明るく、強気で手術に立ち向かっていたので、
異常にハイテンションだったのです。

ダンナさまのように、
生命が危ぶまれる病気の場合、
弱気で心配ばかりして、
泣きながら生命が助かるのを待つのか、

それとも
明るく前向きに、強気で立ち向かうのか、

結果は大きく違ってくると思うのです。

もし、弱気な状態で
最悪な死という結果になったとき
私だったら立ち直れません。
絶対に悔いが残ります。

でも、
最後の最後まで明るく前向きに、
負けることなく強気で立ち向かえば、
たとえ最悪の状態になったとしても
ダンナさまも私も大満足に違いないのです。

死というものに直面すると
そういうことが分かってきます。

私は、母の時も父の時も
そういう気持ちで看取ってきたので、
亡くなった後は後悔もなく、大満足でした。

決して簡単なことではありませんが。。。

それにしても、
あれだけ取材に時間を費やして
挨拶もないって、どういうことでしょうかねー?

テレビの仕事ってこんなもんなんですかね?

つづく

�L�e�B�����葵さんの人物像は左のリンク”葵ちゃんの日記”からどうぞ!

ランキングに参加しています。応援ポチよろしくお願いします!
�N���b�N���ĂˁB

福島先生がやっと帰って来た!

福島先生が、ヨーロッパと日本から
やっとウエストバージニアに戻ってきました。����@�p�`�p�`

早速ダンナさまの最終手術日が決定!�j�b�R���Ί�

ところが!
ギリシャから重傷患者が運ばれた!

麻痺が出ていて、ストレッチャーに寝たまま
飛行機に乗って来たそうです。��s�@

福島先生の技術を勉強している
ギリシャの脳外科医が
勝手に運んできたらしい。

予定外の出来事!

その患者さんを先に手術しなければならなくなったので
ダンナさまはその後ということに。�g�z�z

ダンナさまは今のところ落ち着いているし、
2、3日延びたってどうってことないし、
まあ、仕方が無い。

この重傷患者を絶対に救っていただきたいし。

手術日が延びた私達は
こちらで友達になった人と、買い物にいったり、
日本食レストランに行ったりしました。

そのレストランは大学病院のすぐ近くにあって、
福島先生が大好きでよく通っているところでした。

そして、手術を終えた福島先生がドクターを
引き連れて食事をしに来たのです。

私たちに気がつくと、
”手術日が延びちゃってごめんね。”
と、あやまりに来てくれたのです。

いやいや、ダンナさまは今のところ大丈夫ですから!
私は恐縮してしまいました。

ギリシャの患者さんは手術成功!
麻痺も治って命をとりとめました。(やったー!よかった!)

そして、食事のお会計の時にびっくり!

福島先生が私達の食事代を払ってくれていたのです!����

まだ食事中の福島先生のところへ行き、
お礼をいったのはいうまでもありません。

福島先生ってやさしいのです。

私達がロスから来ていて、
ここでの滞在費がかさんでいることを
心配したのでしょう。

きっと、手術日が延びたことで、
何日分か出費が多くなると分かっていたのです。

私達はまたまた福島先生に惚れ込みました。���ւց[��

つづく

�a�@福島先生の公式サイトは左のリンク”ドクター福島”をクリック!

ランキングにポチッと!よろしくお願いします!
�N���b�N���ĂˁB

Appendix

Recent Trackbacks

Profile

葵林檎さん

ロサンゼルス在住20年。
はずかしながら未だに英語が苦手です。
頼りにしていたダンナさまが脳腫瘍になってしまってここまで強くなりました。壮絶人生と人はいうけれど、なんとかここまでやって来ました。夫婦の泣き笑い劇場ぜひご覧下さい。

Extra

プロフィール

葵林檎さん

Author:葵林檎さん
ロサンゼルス在住20年。
はずかしながら未だに英語が苦手です。
頼りにしていたダンナさまが脳腫瘍になってしまってここまで強くなりました。壮絶人生と人はいうけれど、なんとかここまでやって来ました。夫婦の泣き笑い劇場ぜひご覧下さい。

FC2アフィリエイト

FC2アフィリエイト

FC2アフィリエイト

FC2アフィリエイト

FC2アフィリエイト

FC2ブログランキング

ブログランキングに参加しています!

FC2Blog Ranking

クリックしていただけたら嬉しいです!

FC2カウンター

FC2アフィリエイト

FC2アフィリエイト

FC2アフィリエイト

FC2アフィリエイト

健やか総本舗亀山堂

FC2ブログジャンキー

「アクセス数が全然伸びない…」そんな悩みをブログジャンキーが解決します!

FC2アフィリエイト

ショッピングカート

QRコード

QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。