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緊急!ERに運べ!パート2

早く福島先生がアメリカに戻って来ないかなー、
と、指折り数えて待っていました。

そんなある朝、
疲れていて10時ごろ起きたのです。

ダンナさまに朝の薬を飲んだか確認すると、
気分が悪かったので、飲めなかったというのです。

それじゃあ、急いでご飯を食べて薬を飲まなくちゃ!

私達はすぐに病院のカフェテリアに行きました。

レジに並んでいる時、
ダンナさまがだるそうにしていたので、
先に出て、座っててもらうことにしました。

私は気になってずっとダンナさまの様子に
目を配っていました。

すると、やたらとあくびをしていて、
次に目を閉じ、
身体が力なくダランとしているではありませんか!����

これはただごとじゃない!

駆けつけて、声をかけるも
うつろな目でクタッとしています。
顔色も血の気がうせて白くなっています。

これはまじヤバい!���[��

私は顔なじみになっていた
レジのおばさんに、必死で
ERに連絡して!と叫びました。

すると、さすがにここは病院のカフェテリア。
ナース達が一斉に集まって来たのです。

私は、福島先生が脳腫瘍の手術をしたことを
説明し、
この間ERに行ったばかりだということも言いました。

どこからともなく車いすが登場し、
ダンナさまはERに運ばれたのでした。

私は買ったばかりの食事を
持っていくわけには行かないと
困っていたら、
同じくファミリーハウスに滞在している人がいて
声をかけてくれました。

部屋番号を書いて、冷蔵庫に入れておいてあげると
言ってくれたのです。

なんてありがたい!

はじめは、ダンナさまと2人、
心細い思いをしていたけど、
だんだん顔なじみができできたんだなー。と
やさしくしてくれる人たちに
感謝しました。

私がERの受付を済ませ、
ダンナさまのところへ行ってみると、

”おーい!ここだよー!”
点滴をしているダンナさまが
笑顔で手を振っているではありませんか!�΂��΂�

かっ、回復が早すぎる!���[

ほとんど意識不明だったのに!?

そしてナースが笑っていいました。
”ご飯を食べてないからお腹が空きすぎて倒れちゃったのね。”�E�C���N

まあ、アメリカ人はジョーク好きです。

本当は、ステロイドを飲まなかったから
血圧が下がってしまったんですけど。

後に、
どんなに気持ち悪くても、
ステロイドだけは飲まなきゃだめだ!と
福島先生に怒られてしまいました。�͂��g�z�z

つづく

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緊急!ERに運べ!パート1

やっぱり福島先生のいう通り、
そのままウエストバージニアに居て
よかった!

病院と渡り廊下でつながっている
ファミリーハウスに宿泊していたおかげで
すぐにエマージェンシールームに行くことが
できたのです。

1回目は部屋にいるとき、
気分が悪いと言い出して
ERに電話をしてから駆けつけました。

しかし。。。
3時間も待たされた。

ここエマージェンシールームだよねー!?
全然緊急じゃないじゃん!�{

こっちは必死に
福島先生に手術してもらったばかりだと
説明してるのに!

脳のCTを撮ったり、
点滴したりしましたが、
原因は血圧低下だったみたいです。

ダンナさまの脳腫瘍は頭蓋咽頭腫というもので、
ホルモンの調節をする器官が機能しません。
ステロイドを摂取しないと
血圧を維持できないのです。

危なかったです!
そのまま朝まで過ごしていたら
血圧低下で意識がなくなっていたでしょう。�A�b�v���[�h�t�@�C��

そしてERに行ってから5時間後、
無事に部屋へ戻ってくることができました。

もう朝だよー!�g�z�z

つづく

�L�e�B�����これは2005年6月のお話です。
今の葵さんの生活は左のリンク”葵ちゃんの日記”をご覧ください!

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ドクター福島はヨーロッパへ。

ダンナさまの家族は3日間の滞在で
日本へ戻りました。

また、2人だけの病院生活になりました。

ダンナさまはその後
順調に回復し、
ロスに帰れるかもしれないと
思っていました。

が、しかし、
福島先生の判断は
ここ(ウエストバージニア)に
滞在していてください、ということでした。

えーっ!����
ロスに帰れないのー!?jumee��faceA75

福島先生はこれから
患者さんのために
ヨーロッパと日本に行くというのです。

1ヶ月で戻ってくるので、
戻ってきたらすぐに
ダンナさまの最後の手術をするということでした。

もし、ロスに帰って
なにか症状がでたとき、
対処が大変になるので
ここにいて欲しいというのです。

それもそうだ、と
私達は病院の隣の
ファミリーハウスで
1ヶ月過ごすことになりました。

そして、
福島先生の予想通り、
2回もERにお世話になったのでした。jumee��faceA148

つづく
�a�@福島先生の公式サイトは左のリンク”ドクター福島”からどうぞ!

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2度目の奇跡!

やっと夜中に日本から
お父さんと弟が着きました。��s�@

ロスみたいに簡単に来れる所ではないので、
2人とも疲れた様子でした。

英語も分からず、
飛行機を乗り継いで、��s�@
空港からタクシーで1時間半。��

それでも80歳ちかいお父さんは
力強く、さっそうとICUを訪れ、
ダンナさまを励ましたのでした。

次の朝、ICUに行ってみると、
ダンナさまがいない!���[��

まさか!緊急事態か!?

いや、それなら何時であろうが、
連絡があるはず。

ナースに訪ねると、
普通の病室に移ったというではありませんか!jumee��shriekL

早速病室に行ってみると、
意識が回復したダンナさまが!
頭に差し込んであった
髄液を外に出すためのチューブも
外れています。jumee��faceA192Ljumee��faceA192R

お父さんと弟に笑顔で答えてるではありませんか!����

どうやら、夜中にお父さんと弟が来たということから
覚えているようです。

ダンナさまは
食事をする姿を見せたり、
ヒゲを剃る姿をみせたりして
元気な姿を2人に見せていました。����@�p�`�p�`

しかし、
私はその日から
下痢と熱にうなされたのでした。jumee��faceA148

どうやらICUの寒さにやられたようです。
ホッとしたせいもあるでしょうね。

そして私は
気合いでこの風邪を治したのでした。�撣�邼�B���[��B

つづく

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待ちぼうけ。

1週間に2回も脳の手術をするなんて。。。
これで意識が戻らなかったら大損だ!

絶対そんな悔しい思いはしてなるものか!�撣�邼�B���[��B

福島先生は朝から2件の手術をしていて
最後にダンナさまの手術を急遽行うことになっていました。

ナースによると午後2時頃になるだろうということでした。

私はずっとダンナさまのところで
頭に差し込んだチューブから排出される液体を
眺めていました。
液を溜める袋の目盛りばかりに
目がいってしまうのです。

もっと出ろ!もっと出ろ!
どんどん排出して脳を正常に戻すんだ!�撣�邼�B���[��B

2時ごろになって
そろそろ手術室からお呼びがかかるだろうから
と、私はトイレに行って、
ついでにタバコを吸いに外へ出ました。���΂�

ICUに戻って、ナースに確認すると
まだ手術室から連絡はないということでした。

3時になり、もう1回確認すると
前の手術は終わっているので、
もうすぐだろうというのです。

しかし待てどくらせど、
お呼びがこない!

もう4時になっちゃった!
いったいどうしたんだろう?�͂Ă�

しびれを切らして
今度は違うナースに聞いてみた。

すると、な、な、なんと!
ダンナさまの手術は中止だというのです!
�A�b�v���[�h�t�@�C��

それも2時過ぎに中止の連絡があったというのです!�A�b�v���[�h�t�@�C��

伝えようとしたけど、私がいなかったって!�A�b�v���[�h�t�@�C��

なんだよそれ!
待ちぼうけだよ!�͂�

うまい具合に髄液が出て、
症状が落ち着いてきたから
危険な手術は避けようということになったそうです。jumee��yippee4Ljumee��yippee4R

しかし。。。なんて間の悪い。。。
私があのとき煙草なんて吸いに行ってなかったら、
待ちぼうけせずに済んだのに。。。

ナースもナースだよ!
ちゃんと連絡事項は忘れずにしてくれよー!

まあ、アメリカはこんなこと
普通に起こることか。。。と
笑って見過ごすことにしたのでした。

そんなことより、
夜中にダンナさまのお父さんと弟が
病院に着くことになっていました。
手術しなくてすんだときいたら
きっと喜ぶだろうな。

よかった、よかった。
私もほっとしたのでした。

つづく

�L�e�B�����いくつもコメントありがとうございました!これからもがんばります!

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生命からの叫び!

これでダンナさまが死んでしまったら!jumee��wing1b
私はダンナさまの家族と友人達のことを思いました。

いや、死なせるわけには行かない!
家族や友人達のためにも負けるわけにはいかないんだ!
ここで私がくじけたら、申し訳がたたない!

私の生命に変えても助かってもらう!
私の生命をダンナさまに!

私の生命と引き換えでいいから助かって欲しい!

私の生命からの叫びでした。

私達には子供はいませんが、
子を持つ親は皆このように思うのでしょうね。

ダンナさまの意識は相変わらずもうろうとしています。
頭に入れたチューブからは少しづつ液が排出されてきました。

明日は手術決行日。
ダンナさまのお父さんと弟は
どんな思いで日本から旅立ったことだろう。

私はただひたすら
”日本からお父さんと弟がくるからね、
しっかりね!元気な姿見せるんだよ!”
とダンナさまに話かけていました。

つづく

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またもや生命の危機が!

ICUで凶暴なダンナさまに朝まで付き合い、
おとなしくなったところを見計らって
私は一旦ファミリーハウスの部屋に戻りました。

疲れ果てて寝ている私は再びICUからの電話で起こされたのでした。

またかよーjumee��faceA148と思いながら行ってみると、ダンナさまはおとなしいではありませんか!
なんで呼ばれたんだ?�͂Ă�
しかも様子が変なのです。いまにも死んじゃいそうな静けさでした。

ダンナさまに
”どうしたあー?”ってやさしく声をかけると、

”ごめんね”って。

それがまるで最後の言葉のようにそう言って目を閉じたのです。

エッー!死んじゃうのー!���[

なんだか分からないけど涙が出ました。jumee��faceA76

この時ダンナさまの脳は、髄液が溜まり腫れていたのです。

福島先生の判断は明日にでも残りの腫瘍の手術をするというものでした。
(もともと手術は一度に全摘すると生命にかかわるので、2度に分けてする予定でした。
 はじめは取れるところまでやって、一旦ロスに戻り、1ヶ月後に最後の最も危険な
 部位を手術するということだったのです。)

これもまた、1週間内に全身麻酔で大きな手術をするというので、
身体に負担がかかり、とてもリスクのあることでした。
そして最悪の場合、
手術しても意識がもどらないかもしれないと言われたのです。�K�[��

緊急事態です!
ダンナさまの家族にすぐ連絡をして
日本から飛んできてもらうことにしたのです!��s�@

ダンナさまは緊急処置として
頭に穴を開け、そこにチューブをさして
髄液を取り出すことになりました。

これでうまく髄液が排出されなければいっかんの終わりです!jumee��wing1b

ICUでダンナさまの頭に穴を開ける作業が開始されました。
まだ若い女性のドクターがやってくれたのですが、
私は少し不安でした。
見た目で判断してはいけないのですが、
ちょっと疑ってしまいました。

そして私は、
ただ成功を祈るしかありませんでした。

つづく

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手術は成功したけれど。。。

ダンナさまの顔を見てほっとしました。
しばらくICUにいましたが、
朝が早かったので、ファミリーハウスに戻り
床に就きました。

ところが、夜中の電話で起こされたのです!jumee��telephone1a

麻酔からさめたダンナさまがあばれているので来てくれというのです!

ナース達は、ダンナさまが英語を理解できなくて
言うことをきいてくれない思ったらしく、
私に日本語できちんと言ってくれということでした。

ダンナさまの方が英語が達者だっていうのに。。。

とにかく、隣の病院に駆けつけました。�_�b�V��

行ってみたら、まあ大変なことに!���[

あばれるので手をベットに縛られ、大声でわめいていました。

目つきはギンギンで、麻薬中毒者?みたいでした。

ダンナさまは自分の置かれている状況が理解できず、
困惑しています。

私はゆっくりと、落ち着いて、手術したということを
いちから話ました。

ダンナさまの言い分は、
高い金を払っているのにナース達が自分の言うことをきいてくれない。
というものでした。

うーん。あっているような、あっていないような。。。

ご存知かと思いますが、アメリカの医療費はべらぼうに高い!
ICUは1泊100万円から、普通の病室ですら1日20万くらいかかります。
保険が無かったらさよなら~です。jumee��faceA75

ダンナさまはそれが言いたかったのか?
しかし、どこかの高級ホテルにいると錯覚しているフシもある。
一般庶民である自分たちが100万もする部屋に泊まることなんて
ありえないのに。。。jumee��faceA148

とんちんかんなダンナさまの言うことを
まともにきいてたらこっちが大変だ!と考え、
とにかく話を合わせてなだめました。

私は寒い寒いICUで、ブランケットを羽織って
朝まで付き添ったのでした。
(とにかくICUは菌の繁殖を抑えるため温度が低いのです)

つづく

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いざ!出陣!ドクター福島1回目の手術。

朝5時半に手術の準備がスタート!
眠い目をこすりながら手続きを待ち、
手続きが始まったと思ったらあれよあれよという間に
ダンナさまは手術着でベットへ。

ナースが準備に来たと思ったら、続いて麻酔科医があいさつに来て、
最後に執刀医の福島先生が来ました。

そうなるともう手術室に運ばれるだけです。

私は最後まで見送り、家族の待合室へ。

待合室では受付をしなければなりません。
ちょっと外に出るのも伝えなければならないのです。
そして戻って来たらまた報告するのです。

手術中万が一何かあった場合に家族がどこにいるか
直ぐに把握できるようにする為です。

待合室には飲み物とクラッカーなどが置いてあります。
そしてICUと同じ階なので、菌の繁殖を抑えるため
メチャクチャ寒いのです。
私は途中でブランケットを取りに行ったぐらいです。

(そのおかげで後々熱を出してしまったのですが。。。)

まわりは家族が何人もいて一緒に待っています。
友達が駆けつけたりして。

私は知り合いもいないところで、一人で何時間も待たなければなりません。
少々悲しくなったことを覚えています。

手術の経過報告に福島先生のアシスタントが何度か話に来てくれ、
もう少し、もう少しと我慢したものです。

そして夕方4時に無事手術が終わり、
福島先生が手術の説明をしてくれました。

ICUに移って落ち着くまで、まだ1時間かかるというので
私はファミリーハウスに戻って休んだのでした。

ずっと気がはっていたので、ものすごくほっとして
ベットに倒れ込みました。

しばらくすると、ICUからの電話で起こされました。

ダンナさまが目を覚ましたのです。

私は急いでICUに行きました。
早く自分の目で確かめたかったのです。

つづく

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最後の砦、福島先生に命を預ける!

手術の前の診察で始めて福島先生に会ったとき、本当に安心しました。
これでなんとかなる!という思いでした。
(わりとハンサムだし、好感度がいい!)���ւց[��
が、しかし。。。手術の前日の話し合いで、現実を突きつけられたのです!�K�[��

ダンナさまの腫瘍は神経と大きな血管にくっついていて、
それがうまく剥がせなければ大変なことになる。
残念なことに、脳腫瘍の手術を1回ロスでしてしまっているので、
残りの腫瘍が癒着してしまって、手術が余計難しくなるというのです。
(人間の身体は1回メスを入れると、そこを治そうとする力が働き、その働きで周りの組織にくっついてしまうのです。簡単にいうとそういうことです。)

へたをすると植物人間になる可能性も。
頭を開けてみないと、いくら福島先生でも何が起こるか予想がつかないのです。

私は長年歯医者のアシスタントをしていたのでよくわかります。
レントゲン上と、いざ治療を始めて中を見たときでは、治療の方向性が変わってくる。
よくあることです。

そんなことを理解したうえで、福島先生の経験と知識とテクニックに
ダンナさまの生命を預けました。

大事なことは、自分の選んだドクターに全信頼をおき、
その姿勢をドクターに見せることです。

こちらの覚悟を全身全霊で表すと、ドクターもナースもそれに答えてくれます。
すべてこちら次第なのです。

病院まかせ、医者まかせはよくないですよ!
こちら側の病に立ち向かう覚悟をみせましょう!

ということで、全て福島先生にお任せします!と覚悟を決め、
頭を下げたのでした。

福島先生は私たち夫婦の期待に絶対答えてくれると信じて。。。

つづく
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ウエストバージニア

ウエストバージニアは、森がたくさんあり�X
美しい緑に囲まれた州でした。
5月という季節もあって、緑のなんて鮮やかなこと!
乾燥しているロスでは見られないグリーンでした。

そんな大自然に囲まれた美しいところでも
私にとっては戦地のようなもの。
空港から病院に向かう車の中から、鮮やかな緑を眺めながら
私は気持ちを戦闘態勢にもっていったのでした。�撣�邼�B���[��B

まず困ったのは、言葉です。
もちろん、医療用語はチンプンカンプン。
長年アメリカに住んでいて、
はずかしながら私の英語はカタコト。
そしてここは東なまりのイントネーション。
英語の意味がさっぱりわからん!
最初聞いたときはフランス語かと思った!jumee��faceA75

ダンナさまがまだ仕事をしていた頃、
ニューヨークの人と電話で話すのは大変!といっていたけど、
こういうことだったのね!
ある程度人並みに英語をしゃべれるダンナさまでさえ、
”英語のしゃべれる人に変われ!”などと言われたらしいから。

もう私の英語など、チャンチャラおかしい!と思われていたことでしょう。�͂�

それでもここは病院!
皆やさしく私の英語をきいてくれて、やさしく喋ってくれました。
とにかく田舎の人はやさしいです!
特に私なんかチンチクリンの日本人。子供に見えてもおかしくない!?�A�b�v���[�h�t�@�C��
英語も分からない東洋人がかわいそうに見えてたかも?

とにかくここは田舎です。(ウエストバージニアの方々ごめんなさい!)
ロスと違って東洋人なんてほとんどいないところ。
私達は病院のカフェテリアを歩いているだけで、
皆にジロジロ見られていました。(まさか!人種差別!?���[
そして、荒くれ者はどこでも大音響で車を走らせていますが、
ここでは大音響で流れているのは。。。
カントリーミュージックでした!jumee��faceA148

つづく

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これで福島先生に手術してもらえる!

なぜダンナさまは元にもどったのか?
素人の私が考えるに、脳に溜まった髄液が脳を圧迫して症状が出て、
鼻水を垂らしていたのは、実は随液が出てたとか?�͂Ă�
鼻水みたいに髄液が出て、脳が圧迫から解放されので右半身不随が治ったとか?�͂Ă�

医者に言わせると、そんなことはありえない!と、笑われました。jumee��faceA148

だって治ってから鼻水がピッタっと止まったんだもん。�͂�

とにかくダンナさまが元気になって、福島先生に手術してもらえるようになったのです。

2ヶ月後の手術のため、
手術を行うウエストバージニア州大学病院との連絡が始まりました。

まずは、私達が持っている健康保険が、ウエストバージニアの病院で使えるか
調べるところから始めなければなりません。

福島先生専属の手術のコーディネーターに資料を送り、保険がカバーすると分かったので
次は手術の日程を決め、その日からさかのぼって手術のための検査予約をするのです。

それが決まると、ウエストバージニアに出発する日が決められます。
そしてやっと、飛行機のチケットを予約することができるのです。

ロスから飛行機で5時間。隣の州のピッツバーグ空港から車で1時間半。��s�@�菑�����V���[�Y�S�Q��
ダンナさまは大丈夫なのか?ロスとの時差も3時間あります。
まあなんとか無事行けたのだけれど。

この病院は、世界中からの患者を受け入れる設備があります。
家族が長期滞在できるよう、ファミリーハウスといものが病院に隣接しているのです。
ファミリーハウスは、ボランティアと寄付で成り立っていて、
宿泊費がとっても安いのです。

私達はそこに3ヶ月も滞在したのでした。

つづく
�a�@天才脳外科医 福島先生を知りたい方は
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奇跡!

私はダンナさまの死を覚悟して過ごしていました。
そして、自分の人生を見つめ直したりしていました。
そうしているうちに、ダンナさまに対して謝罪の気持ちが
湧き上がってきたのです。
私はなんて悪妻だったのだろう。
さんざん好き勝手にやってきて!と。
わがまま放題だった自分を反省したのです。jumee��faceA126

ダンナさまはアメリカ生活が長いので、
若い時からの友人がたくさんいます。
日本からも、昔からの友人がロスにお見舞いに来たりしていました。
その友人達の、ダンナさまを死なせてなるものか!という
気持ちが1つになって、大きなエネルギーになっていたように思えたのです。
それを考えると、ダンナさまの大事な友人達のために
私がなんとしてでも助けなければ!
このまま死なせては申し訳ない!と
考えるようになったのです。

私の闘争心に火がついた瞬間です!�撣�邼�B���[��B
今までは逃走心だったけど。。。�A�b�v���[�h�t�@�C���Ղ�

こんな風に私の気持ちが変わったとき、
奇跡が!

その日は友人が何人か来ていました。
ダンナさまがろれつの回らない状態で話しているのを
横目で気にしながら見ていたのです。
なんとなく、いつもよりちゃんとしゃべれてるな。と感じていました。
友人の前ではしっかりしなければ。と、
ダンナさまが意識しているんだと思っていたのです。

ところが皆が帰った後!
ダンナさまが普通の身体に戻っているではありませんか!
たった2時間前には自分でプリンも食べれなくて、
私が食べさせていたのに!�A�b�v���[�h�t�@�C��
右半身不随だった身体が動いている!�A�b�v���[�h�t�@�C��
ゆがんでいた顔が元通りになってる!�A�b�v���[�h�t�@�C��
垂らしていた鼻水が止まっている!�A�b�v���[�h�t�@�C��

なんじゃこりゃー!����

ダンナさまはこの時から記憶を取り戻したのでした。
それまでのことはうっすらとしか分からないのに、
ここからははっきりと覚えています。

2人できつねにつままれた状態で、しばらくは信じられませんでした。

夕食を食べることもそっちのけで、右手を動かして確認し、
右足を動かしては確認し、しゃべらせては確認し、
しまいには歩かせて確認をしました。

びっくりしすぎて信じられず、
喜ぶことよりも
ずーっときつねにつままれた精神状態でした。�͂Ă��т����

福島先生も信じられない!と驚いていました。
さぞかし首をかしげたことでしょう。

おそるべし!人間の生命力!����@�p�`�p�`

死んでしまうということ

ちょっと重いタイトルではありますが。。。
とにかくダンナさまに、余命の話をすることにしました。��

あなたは今の状況では、福島先生が手術しても
助からないと言われた。
ここ1、2ヶ月で寿命が尽きてしまう。
あなたには日本に家族がいる。
亡くなる時は、家族の側で亡くなりたいのか、
それとも、ここアメリカで骨を埋めたいのか?
あなたにとって一番幸せな方法を選んで欲しい。
という内容で話しました。

今思うと、なんてストレートな言い方!
と、怖くなってしまいます!���[��

ダンナさまは、その場では話に受け答えができていましたが、
どこまで理解して会話をしているかは定かではない状態でした。�͂Ă�

そんなダンナさまが、このことを話すと、
少々残念な顔をして、
”そうか。。。もうだめなのか。。。”
”でも僕はアメリカにいる。
心配して応援してくれた皆のために、ここでがんばる。”jumee��faceA75
と、言い切ったのです。

私は、涙をこらえて、
”心配かけてる皆に恩返しをしたいなら、
死んでられないよ!がんばって生きてもらわなきゃ。”
と、これ以上は言葉が見つかりませんでした。jumee��faceA128

私は、母、父と順番に看取ってきました。
”死”というものに対しては恐怖感はありません。
なぜなら、人間は誰しも死というものを避けられません。
全ての人に平等に起こります。
ただ、どのように死を迎えるかが問題だと考えています。
やれるだけのことをやって、大満足で逝くのか、
死の恐怖に怯えながら苦しんで逝くのか。
それをサポート出来るのは、家族であり、友人であり、
周りの人間です。
そして、お互いが同じ志で死に立ち向かったとき、
人間の本質が見えてくるのです。

だから私は、死というものを恐れてはいません。

人間の本質が見えて来ると言いましたが、
私はそのおかげで、自分というものが見えてきたのです。
自分がいかに反省すべき人間なのか。jumee��faceA126
自分の悪いところを認める勇気を持てるようになったのです。

つづく

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死の宣告

ダンナさまがいつ死んでしまうか分からない状況を知った友人達が
次々と連絡をして来ました。
その中で、何をどうしていいか分からないでいた私の気持ちを
変えてくれたお話がありました。

その方は、お母様をガンで亡くされていました。
助かって欲しい一心で手術をしてもらったそうですが、
手術をしない場合で宣告された余命と同じだったそうです。
その方は後悔していました。
身体に負担をかけて手術し、術後に苦しませてしまったと。
手術をしなければ、もっと有意義に家族と過ごせたのではなかったかと。
だから大事なことは、ダンナさまが一番どうしたいのか、
ということだと教えて下さったのです。

私は、ダンナさまが亡くなった後どうしていくかとか、
自分ばっかりつらい目にあって、と、いじけてばかりいました。

でも、それじゃいけなかったんです。
命が消えかかっているダンナさまの気持ちを
一番に考えなければいけなかったんです。

記憶がなく、自分が右半身不随だという自覚もなく、
ろれつが回らない状態でしゃべっているという自覚もない。
夢の世界で生きているような頭の状態で、
一番不幸なのは、ダンナさまだったのです。

ダンナさまの幸せを考えてあげなければいけなかったのです。

ダンナさまは本来、精神的にも強い人です。
きっと、余命の話をしても大丈夫。
どうせ、覚えてられないし。??
そして、ダンナさまには、日本に父親と兄弟がいます。
死んでしまうとなったら、家族のことも考えなければなりません。
ダンナさまに意見をきかなければ。と、私は余命宣告したのでした。

つづく
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頭蓋咽頭腫の症状

ダンナさまの症状は1週間ごとに次々悪化していきました。
最初はおしっこが近くなり、次第にトイレに行くのが間に合わなくなって下着を汚しはじめました。
ある夜、ベットの下でもがいているダンナさまに気がついて目を覚ましました。
見ると、漏らしたおしっこの中で、必死に立ち上がろうとしていてたのです。

私は呆然となり、泣きたい気持ちを殺して、夜中におしっこの始末をしました。
そしてそれからは、ダンナさまに紙おむつをはかせたのでした。

この人が私が愛して結婚した人だと考えるとショックでショックで、
それはもう悲しさを飛び越えて、いきなり真っ暗な穴に落ちたような心持ちでした。

ダンナさまはこの辺りからの記憶が全くありません。
覚えていないのです。
今考えると、記憶がなくてよかったと思っています。
自分がそんな状態だったと覚えていたら、耐えられなかったことでしょう。

この症状は、身体の水分を調節する部分が、脳腫瘍によって圧迫されていたために起こりました。
おしっこの調節がコントロール不能になるのです。
どんどん身体の水分が外に出てしまうので、脱水症状にならないように
水分をとらなければなりません。

実際、福島先生が手術した時は、このおしっこの調節器官が紙のように
薄っぺらになっていたそうです。
今は薬でコントロール出来ています。

次は鼻水です。
透明な鼻水がダラダラ出たのです。
拭いても拭いても1日中出ていました。

まるで、脳から水分がもれているんじゃないかと思えるようでした。
そんなことはありえないんですけど。

そして、とうとうまともに歩けなくなっていったのです。
何歩か歩くと、転んでしまうのです。

ある日トイレからドスンという音がして駆けつけると、
便器に座ったままの形で横に倒れていました。
右半身不随が始まったのでした。

ご飯を食べるのも、シャワーに入るのも、介護が必要となったのです。

この状態を福島先生に報告すると、衝撃的なことを言われてしまったのです。

最終段階の症状が出てしまっているので、
手術の日まで保たないということでした。
つまり、ここ1~2ヶ月で死んでしまうということです。
こうなっては手術に耐えられる体力もないので、福島先生が手術しても
助からないと言われたのです。

私は、どのように亡くなるのか怖かったので、
福島先生にきいてみました。
それは眠っている間にスーッと息を引取るというのです。
毎晩、隣で眠るのが怖かった。
息をしてるのか気になって何度も確認したりしました。

この癖は、ダンナさまが元気になった後もしばらく取れませんでした。
よく眠れないので、疲れてしまって、
しばらく違う部屋で寝たりしてましたが、
今は大丈夫です。
生きているという確信がありますから。
つづく

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ドクター福島にお願い!

福島先生に電話をかけると、ちょうど手術が終わった休憩中でした。
今までの経緯を話すと、放射線治療はしてはいけないと言われました。???[??
おそらく、腫瘍を摘出したといっても、ほんの少ししか取れていないだろう。
放射線治療は何ミリ単位で残った腫瘍にするもので、
センチ単位のものにしてはいけないというのです!

私の腹は決まりました。福島先生に全てを託そうと。

実はこの日の午後から、放射線治療が始まるところだったのです!����
福島先生との電話を切った後、直ぐにUCLAの病院に電話をして
治療をキャンセルしました。
病院側は納得できない様子でしたが、かまうことはありません。
医者も病院も治療方法も、患者が選ぶべきなんです。
そのためには自分で病気について勉強したり、
リサーチしなければなりませんが。
医者任せはもう古いのです!

話をもとにもどしますが、
今までのカルテとレントゲンを、全ての病院から取り寄せ、
毎週のように福島先生のオフィスに送り続けました。????

そして、やっとダンナさまの手術が2ヶ月後に決定したのです。
手術のために、ウエストバージニア州の大学病院にいかなければなりませんでしたが、
ここは世界中から患者を受け入れる制度があるので、安心して滞在できる所です。

医療費は、その時家を持っていたので、それをもとに借金をしました。
しばらくはなんとかなります。

よし!これでなんとかダンナさまは助かるぞ!
と思った矢先、症状が悪化したのです。?K?[??
つづく

?a?@神の手を持つ脳外科医 福島先生をもっと知りたい方は、左のリンク”ドクター福島”からどうぞ!

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LAで手術をしたものの。。。

ダンナさまは術後1週間で退院しました。
一番驚いたのは、傷口を糸で縫わず、
ホッチキスの針で止めてあることでした。jumee��faceA211R
もちろん、医療用ですが、
フランケンシュタインのような頭にびっくり!��-��
本人は痛くもかゆくもないというのですが、
見た人は恐ろしくなっちゃいます!
(ちなみに、アメリカではホッチキスで止めることを、
ステイプルといいます。)
傷口が治ってくると、
少しづつステイプルの針が抜け落ちてきたものです。
傷口が治ったら、
残りの腫瘍に放射線治療を施すため、
UCLAの病院に紹介されました。
放射線治療の前に様々な準備が必要なので、
何回もUCLAに通いました。
有名な病院ではありますが、
担当の医師団が高飛車だったので、嫌な感じを受けました。
この準備期間に、ダンナさまは、
少しづつ状態が悪くなっていきました。
私は頭を抱えてしまいました。
放射線治療をしても、
残りの腫瘍が無くなるわけではないというし、
腫瘍が大きくなるのを防げるかどうかも
やってみなければ分からないというのです。
そんなある日、
レンタルビデオ屋で”スーパードクター”のテレビ番組を借りてきたら、
福島先生が出ていました。
それを見て、もう一度、
福島先生に連絡を取ってみようと思い立ったのです。�d��
つづく

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ロサンゼルス在住20年。
はずかしながら未だに英語が苦手です。
頼りにしていたダンナさまが脳腫瘍になってしまってここまで強くなりました。壮絶人生と人はいうけれど、なんとかここまでやって来ました。夫婦の泣き笑い劇場ぜひご覧下さい。

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Author:葵林檎さん
ロサンゼルス在住20年。
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頼りにしていたダンナさまが脳腫瘍になってしまってここまで強くなりました。壮絶人生と人はいうけれど、なんとかここまでやって来ました。夫婦の泣き笑い劇場ぜひご覧下さい。

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